マリンチェは高貴な身分の生まれでしたが、親の手によって奴隷の身分に落とされることになります。そして彼女は破壊神なのか、それとも創造神とも言えるような行動を起こすことになる。それは、わざわざ征服者を導いて祖国を消滅させて、新しい世界を創り上げた。なんだんか壮大な感じになってきましたが、実際マリンチェは売国奴として語り継がれることになります。今回は国を売った少女について簡単に解説しようと思う。
生まれ
1502年頃に南米アステカのパイナラと言う町で、マリンチェは生まれました。父が町の長であり、名家の娘として不自由ない生活を送っていたマリンチェは、都市部に勉学のために留学していたようなので、かなりいい生活をしていたと思われる。そんなマリンチェの人生が大きく変える事件が起きた。
それは、父の死である。
マリンチェは留学を取り止めて帰国することになり、母の再婚で生活環境も変わった。一番の変化は弟が生まれたことだ。男子の誕生によって跡継ぎが確保されたので、両親にとってマリンチェは邪魔な存在になった。それでマリンチェは奴隷として他国に売られてしまったのだ。母は世間体を考えて、近所で亡くなった奴隷の遺体を譲り受けてマリンチェとして葬ったらしい。
運命の出会い
「一の葦の年、白い肌の破壊の神、ケツァルコアトルが帰って来て世界を滅ぼす」
アステカにはケツァルコアトルの伝説があった。ケツァルコアトルは国王であり、農耕の神であった。しかし、アステカの生贄の風習に反対したことで、住民によって大陸から追いやられていた。ケツァルコアトルは、必ず帰ってくることを仄めかして東の海に姿を消したと言う。この伝説が本当に起こる。
一の葦に当たる1519年に、白い肌をした異国の人間ーースペインのエルナン・コルテスはこの新大陸で、富と名誉を求めて海を超えてやってきたのだ。
この頃、マリンチェはタバスコの王に気に入られて、側室になっていた。そんな中でエルナン・コルテスが率いる白い肌の人間が東の海を超えて、アステカにやってきたことを知る。タバスコの王は、エルナン・コルテスにビビって、マリンチェを含めた20人の奴隷を献上した。スペイン語をあっという間に体得する知性と、美貌もあってマリンチェは、コルテスに気に入られることになります。
やがてキリスト教に改宗したマリンチェは、通訳としてコルテスに重宝される存在となったのでした。
コンキスタドールと天然痘
エルナン・コルテス達、スペイン人はコンキスタドールと呼ばれることになる。マリンチェをはじめアステカの多くの人々はコルテスをケツァルコアトルの化身であると認識した。コルテス自身もマリンチェからこのことを聞くと大変驚いたが、「利用できる」と思ったようだ。これによってコルテス達の行軍が容易になった。マリンチェは神の代弁者として、恐れられることになりアステカ攻略が着々と進んでいくことになる。
アステカ帝国の皇帝モクテスマは見慣れない異国人に恐怖を感じていた。大砲、馬、アステカにはないものばかりで、しかもケツァルコアトルの伝説を彷彿させている。アステカの人々はケツァルコアトルの伝説をかなり信じていたようで、モクテスマも同様だった。モクテスマは「国をお返しします」とコルテス達を歓迎したのだ。首都を6日間案内されたコルテスは調子をこいて金をだまし取ったりもしたそうだ。さらにモクテスマ達を監禁したことで、これに怒りを感じた貴族は、モクテスマを説得してスペイン人達に立ち去って貰うことにした。
コルテスは一旦引き返しますが、インディオを引き連れて帝国に戻ることにする。ところが、帝国で留守を任していた部下がアステカ人を虐殺する事件が起きていた。このことでアステカ人による反乱が起こることになる。モクテスマは反乱を鎮圧させるように動くが殺されてしまう。反乱は加速していき、約1000人のスペイン人が亡くなったこの事件は「ノテェ・トリステ(悲しき夜)」と呼ばれることになった。
コルテスは軍を再編成して帝国に攻撃を仕掛けた。運がいいことにアステカでは天然痘が流行していた。天然痘は牛などの家畜から人間に感染する病気なんですが、本来なら家畜を持たないアステカの人々には無縁な病気であった。しかし、海を渡ってきたスペイン人達との交流によって大陸全土に流行していたのだ。ヨーロッパでは比較的よくある病であったので、感染力こそ高いが亡くなる確率はそこまで高くはなかった。
ところが、アステカの人々からしたら免疫すらない未知の病である。多くの人が亡くなった。モクテスマの死後に跡を継いだ王も次々と天然痘で亡くなることになる。こんな経緯もあってコルテスは簡単に大帝国を征服することができたのだった。
その後のマリンチェ
アステカ滅亡後にマリンチェはコルテスとの子供を産みますが、6年後に病によって僅か25歳で亡くなってしまいます。祖国を裏切って新たな世界を創り上げたマリンチェは、アステカからは裏切りの尊重となりますが、近年では「メキシコの母」と称されることになります。
マリンチェは恐らく復讐心で祖国を裏切ったのではなく、ケツァルコアトルの伝説を信じて、もっと「いい国なってなって欲しい」と願ったのではないでしょうか?
実は、アステカの先住民は人身御供やカニバリズムを風習にしていた民族だったので、知性の高いマリンチェは育った環境もあって、エルナン・コルテスのような先進国の人間が眩しく見えたとのではないでしょうか?