オリュンピアスはマケドニアの王妃であり、あの征服王アレクサンドロス大王の母です。アレクサンドロス大王がどうしてあれだけの功績を残すことができたのかは、母であるオリュンピアスの影響が強いのではないでしょうか。オリュンピアスは結構な親バカで、アレクサンドロスのために生涯を捧げたと言っても過言はないでしょう。
今回はそんなオリュンピアスをご紹介していこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
生涯
生まれ
前375年にギリシア北部のロッソイ王ネオプトレモスの娘としてオリュンピアスは生まれました。オリュンピアスの一族は、ギリシアの英雄アキレウスの子孫と言われていて、ギリシアでも有数の名家でした。15歳頃になると、酒の神を崇める宗教に入信して、彼女は誰よりも熱心になった。酒の神なので酒に酔って快楽を味わうこともあったようです。
その密儀の場でマケドニアの王フィリッポスと出会い、二人は恋に落ちて、結婚することになる。なんだかこの宗教ってお酒に男女が絡んでくるので、出会いの場みたいなところだったのでしょうか?
と言ってもロッソイ王国とマケドニアは隣国であったので同盟を強くする政治的な側面もあったと思われる。
結婚後
ともかく、結婚したオリュンピアスは前356年に後の大王アレクサンドロスを産んだ。その翌年には娘のクレオパトラを産む。仲がいいように思いますが、フィリッポスには妻がたくさんいたので子供も多かった。
なのでオリュンピアスは自分が産んだ子供の財産が減ることを恐れていたようです。そんな中で、フィリッポスは七番目の妻と結婚したことで、関係に亀裂が走った。
この新たな妻はマケドニアの貴族であった。新たな妻の叔父アッタロスは結婚の宴で「この結婚で正統なマケドニアの世継ぎが生まれるように」と口を滑らした。これに激怒しで盆を投げ付けたのがアレクサンドロスだ。アレクサンドロスは世継ぎとしての能力も年齢も満たしていたので、明らかな失言だったのだが、酒に酔っていたフィリッポスはアッタロスを庇った。
決定的なのはフィリッポスは酔ってたとは言え、剣を構えて息子を切りつけようとしたのだ。
これにアレクサンドロス危機感と不信の念を抱き、母であるオリュンピアスも憤りを感じてアレクサンドロスと共に故郷に帰ることになります。前336年にはフィリッポス側からの提案で関係は修復されることになりますが、同年フィリッポスは暗殺されてしまった。
アレクサンドロス大王の誕生
フィリッポスの暗殺には男女関係のもつれが大きいとされています。実行犯は直ぐに殺害されたのですが、実はオリュンピアスが暗殺を仕組んだと言われています。さらにはライバルであったフィリッポスの妻を自身の手で殺害した伝説も残ることになる。
アレクサンドロスは前334年に大遠征に乗り出します。この長い遠征期間でも、母と息子は仲が結構良かったみたいで、手紙でのやり取りが続いた。ただ、アレクサンドロスはマケドニアに戻らなかったので親子は二度と会うことはなかった。
大王の母は結構と献身的と言うか、親ばかであった。アレクサンドロスが王位を継ぐときには息子は「ゼウス」の息子であると噂を広めたり、信頼できる料理人を紹介したりと息子の世話を焼いた。それだけではなく、息子の交友関係にも口を出していたと言う。(手紙で恐喝)
また、アレクサンドロスが不在のマケドニアの統治にも関わった。マケドニアを守る重臣が次第に権力を握り横暴になっていった。オリュンピアスは息子の脅威になると思い、政治に関与をしだすと、重臣との仲が悪くなる。
しかし、アレクサンドロスは女性であるオリュンピアスが政治に関わることに反対した。
アレクサンドロスはマケドニア人が女性の下につくことを嫌がる民族であると熟知していたからだ。後に二人の関係は悪化して、重臣は解任されて、オリュンピアスも故郷に戻ることになった。
アレクサンドロスの死後
インド遠征から一時帰還したアレクサンドロスは急死することになる。アレクサンドロスは「最も強い者が帝国を継承せよ」と遺言を残したので帝国は混乱してしまい後継者争いが勃発した。
この後継者争いは、二人の将軍が覇権を争ったとされる。カッサンドロスはアレクサンドロス大王の異母兄弟であるアリダイオスを即位させるように動きだして、アリダイオスもフィリッポス三世と名前を改めた。
対してポリュペルコンはアレクサンドロスの死後に生まれた息子アレクサンドロス4世を王にするために行動をすることになります。オリュンピアスは当初、戦争に加担はしていませんでしたが、孫の即位を願って戦う決意をする。
フィリッポス三世は障害持ちであったとされていて、妻のエウリュディケに良いように操らていたようだ。その妻エウリュディケは武装して指揮を振るったらしい。オリュンピアスはバチを持って巫女の格好で兵士を鼓舞した。
両軍は整列して、今にも戦争がはじまる雰囲気ではあるが、オリュンピアスの敬意によってフィリッポス三世の軍は戦わず降伏したと言う。一説では、女性に支配されることを嫌うマケドニア人は武装して指揮を振るうエウリュディケを嫌ったからだと言われている。
フィリッポスとエウリュディケは捕まり、牢獄行きとなり最低限の食事だけを与えられる生活となる。時が経つとフィリッポスは槍で刺されて処刑され、エウリュディケは短刀、毒入り人参、縄を差し出されて、縄を選んで首を吊った。さらにオリュンピアスはカッサンドロス支持者100人の処刑を命じたと言う。徹底的に追い詰めたが、カッサンドロス本人も黙ってはいなかった。
オリュンピアスは、カッサンドロスに城を包囲されてしまい救援も敗れてしまう。兵士を集い港街に滞在するが、カッサンドロスは兵士を買収してきたので、兵を集めることはできない。
軍の解散を余儀なくされたオリュンピアスは船で逃走をするが、カッサンドロスに捕まってしまい処刑されることになった。ところが200人の兵士はオリュンピアスのオーラに当てられて剣を抜くことはできない。それでカッサンドロスはオリュンピアスのよって殺害された遺族に石を投げさせて殺害されることになった。
最後に
母として、祖母として全力で生きたオリュンピアスでしたが、彼女の努力に反してカッサンドロスは、アレクサンドロス4世の毒殺をはじめ、アレクサンドロス大王の子供を一人残らず殺害して、自身が王位を継承するのでした。
どうして、カッサンドロスがそこまでしたかと言うと、アレクサンドロス大王を憎んでいたからだそうだ。
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