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『関羽』死後に神様となった三国志の英雄

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三国志の英雄である関羽は、死後に『神』となりました。神様です。信仰されて大切に祀られる神様のことですよ。あの三国志の英雄なら、当然の評価かもしれません。しかしどういう訳か、関羽は、商業系の神様だそうです。三国志の英雄なら戦争の神様の方が、しっくりくると思う。どうして関羽が商売の神様になったのでしょうか。

 

 

 

歴史の登場

 

あまりにも有名な英雄でありながら、その出生については不明な点が多い。黄巾の乱がきっかけに、劉備と張飛と出会うことになる。酒場で飲んでいる二人と偶然出会い、意気投合として義理兄弟の誓いを果たしたようだ。一番年上である劉備を兄、次に関羽、そして張飛。三人は次第に台頭していくことになる。

 

下積み時代

 

関羽が注目を浴びるようになるのは、董卓軍との戦いである。後々の三国英雄が率いる連合軍を苦しめていた董卓軍の勇将を華雄を、関羽が一刀両断で仕留めたのだ。これにはスカウト好きな曹操も、関羽を高く評価した。とは言えこの戦いでは三国志史上最強の英雄・呂布が出陣していた。劉備、関羽、張飛の三人がかりでも、討ち取ることができなかったようだ。

 

曹操に寝返る

 

劉備は徐州を手に入れた。しかしこれは失敗に繋がることになる。呂布を招き入れたのだ。張飛は反対した。呂布は董卓を裏切ったことで評価が低かったからだ。劉備は器量の広さを評価されることになるが、裏切られのだから失敗である。この騒動に動きを見せたのが、曹操である。

 

曹操は水攻めで呂布を葬ると、敗走する劉備を攻めた。関羽は曹操の元で働くことになる。曹操は関羽を高く評価していたので、どうしても雇用したかったのだ。曹操は関羽を優遇して、呂布の愛馬である赤兎馬を譲渡した。

 

曹操に寝返った関羽は袁紹との戦いで、顔良を討ち取った。関羽は義理を返したとして、劉備の元に帰ることを決めた。関所を通るには手形が必要だったようなのですが、関羽は尽く守将を討ち取ったという。張飛と再開するが裏切り者と言われることになる。実は劉備は袁紹に身を寄せていたので、劉備も曹操軍に関羽がいることが咎められていたのだ。最後には誤解も解けたと言うが、関羽は劉備への義理を何よりも優先したのだ。

 

荊州を預かる。そして戦死

 

三顧の礼による諸葛亮の雇用、赤壁の戦いを乗り越えた劉備は、関羽を荊州の軍事司令官に任命した。荊州を欲しがった呉の孫権は、まず魏と関羽を戦わせた。なんでも魏の領土であった土地で反乱が起こったのだ。この反乱には関羽が絡んだ。呉の呂蒙が病気で体調が悪いと聞いていので、関羽は安心して進軍を開始した。魏の援軍が到着したことで、大掛かりな戦闘となるが、関羽は勝利する。しかし、手を抜いていた呉軍の戦線が突破れてしまい次々と拠点を奪われてしまう。このピンチで離反者や逃走者が相次いだことで、関羽も徹底を余儀なくされるが、呉に捕らえられて処刑された。

 

関羽の死によって蜀は混乱する、特に義理兄弟に誓いを果たした二人は相次いで死ぬことになる。張飛は部下に殺されて、劉備は大規模な戦争を起こして返り討ちにあい、そのまま病死した。

 

どうして関羽は神となったのか

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ここまで関羽の人生を簡単に解説しました。魏と呉が連携しないと倒せない武勇に、どんなに好条件を提示されても、劉備を裏切らない義理の精神。関羽は商売の神となる若ですが、商売をする上で信頼、つまり義理はとても大切なことなのです。関羽の義を重んじる人生は、商売と通じるものがあり、時を得て神格化されたようです。

 

 

 

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