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『ヴィラール公』傲慢さで何度も左遷されながら、危機のたびに呼び戻された元帥

なぜこの男は、これほど何度も本国から遠ざけられながら、そのたびに呼び戻されるのだろうか。フランス王ルイ14世の宮廷で、多くの人がそう首をかしげたに違いありません。

 

クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール。今回は、傲慢な性格ゆえに疎まれながらも、フランスの危機を幾度も救ったこの元帥の生涯をご紹介していこうと思います。

 

 

時代背景

 

17世紀後半から18世紀初頭にかけて、フランス王ルイ14世は積極的な対外戦争を繰り返し、ヨーロッパの覇権をめぐってオーストリア・イギリス・オランダなどの連合軍と激しく対立していた。特にスペイン王位の継承権をめぐるスペイン継承戦争は、フランスの国力を大きく消耗させる長期戦になっていく。

 

この危機的な戦争を通じて、フランス軍の指揮官として何度も表舞台に呼び戻されることになったのが、ヴィラールである。

 

実戦で築いたキャリア

 

ヴィラールは軍人の家に生まれ、若くしてフランス軍に入隊する。オランダ侵略戦争でのマーストリヒト包囲戦での奮戦がきっかけとなり騎兵隊長に任命されると、以後も数々の実戦を経験しながら着実に軍歴を積み重ねていった。

 

大トルコ戦争ではオスマン帝国との戦いにも従軍し、この頃に後の宿敵にして親友となるプリンツ・オイゲンとも、共闘する形で戦場を共にしている。

 

スペイン継承戦争での快進撃

 

スペイン継承戦争が始まると、ヴィラールはドイツ方面の戦線で目覚ましい戦果を上げていく。ライン川を渡っての進軍や、バイエルン軍との合流を成功させ、神聖ローマ帝国の首都ウィーンに迫る勢いを見せることさえあった。

 

この一連の勝利によってフランス元帥にまで昇進したヴィラールは、まさに絶頂期を迎えていた。

 

同盟国との対立、そして召還

 

しかし絶好調だったはずの戦線で、思わぬ躓きが生じる。同盟していたバイエルン選帝侯マクシミリアン2世と、戦略方針をめぐって激しく対立してしまったのだ。ヴィラールがすぐにでもウィーンを攻めるべきだと主張したのに対し、マクシミリアン2世は自領周辺の領土拡大を優先したいという思惑があった。

 

数少ない同盟国の機嫌を損ねることを恐れたルイ14世は、なんとヴィラールをこの戦線から召還し、国内の反乱鎮圧という、目立たない任務に回してしまう。目覚ましい戦果を上げていた矢先の、あまりに理不尽な処遇だった。

 

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左遷の連続

 

この一件はヴィラールの生涯を象徴する出来事になった。反乱鎮圧後、ライン川戦線に復帰するものの、再びマクシミリアン2世との折り合いが悪くなり、今度はほとんど戦況に進展のない南フランスへと異動させられてしまう。

 

この不遇な処遇の背景には、ヴィラール自身の傲慢な性格が少なからず影響していたとされる。優れた軍才を持ちながら、周囲との協調を軽んじる態度が、たびたび本国からの警戒や敬遠を招く結果になっていたのである。

 

追い詰められたフランスの選択

 

ヴィラールが遠ざけられている間、フランス軍はブレンハイムの戦いをはじめとする各地の激戦で連敗を重ね、次第に窮地に追い込まれていった。ネーデルラント方面の要塞も次々と陥落し、フランスの国力は限界に近づいていく。

 

同盟から突きつけられた講和条件を拒絶したルイ14世は、この絶体絶命の状況で、かつて疎んじたはずのヴィラールを再び呼び戻す決断を下すことになった。

 

マルプラケの死闘

 

ネーデルラント方面の司令官に登用されたヴィラールは、急ぎ兵をかき集めて防衛線を構築する。同盟軍が要衝モンスを包囲すると、ヴィラールは即座に急行し、マルプラケの森を要塞化して迎え撃った。

 

この激戦の最中、ヴィラール自身は左足に重傷を負い戦線を離れることになる。フランス軍はこの戦いに敗れモンスも失うことになったが、同盟軍側にもフランス軍の倍にのぼる甚大な被害を与えることに成功した。この痛み分けとも言える結果が、皮肉にも同盟側の強硬な講和路線を軟化させる転機になっていく。

 

最後の巻き返し

 

戦争末期、イギリス国内で政変が起こり戦争推進派が退陣すると、戦況は徐々にフランスへ有利に傾いていく。この機をとらえたヴィラールは要衝ドゥナを陥落させ、同盟軍の補給路を断つことに成功した。

 

この勝利を足がかりに、それまで奪われていたフランスの都市を次々と奪還し、ついにオーストリアやオランダを講和のテーブルに引き出すことに成功する。度重なる左遷を経験しながらも、最後の最後で戦争全体の流れを決定づけたことになる。

 

宿敵オイゲンとの和睦交渉

 

戦争を終結させる講和条約の締結にあたり、ヴィラールはかねてより戦場で相まみえてきたオーストリアの名将プリンツ・オイゲンとの交渉役を任されることになる。

 

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敵として長年戦い続けてきた二人だったが、交渉を重ねるうちに互いの趣味を語り合い、自国政府の強硬な姿勢に苦悩する胸の内を打ち明け合うほどの親密な関係を築いていったという。もっとも、オイゲンの博識な知識にはついていけず、交渉の場を後にしたこともあったと伝えられている。この和睦交渉は無事に条約締結という形で結実し、二人はその後も文通を続けるほどの間柄になった。

 

晩年の栄誉

 

戦後のヴィラールは、アカデミー・フランセーズの会員に選ばれ、陸軍大臣を務めるなど、フランス政府の中枢で重用され続けた。80歳を超えてもなお現役の軍人として戦場に立ち続け、ポーランド継承戦争にも出陣している。

 

この最後の遠征の最中、高齢のヴィラールはイタリアの地で病に倒れ、そのまま生涯を閉じることになった。

 

最後に

 

傲慢な性格ゆえに幾度となく本国から遠ざけられながら、そのたびに国家の危機を救う実力を証明し続けたヴィラール。敵将オイゲンとの間に生まれた奇妙な友情も含め、その生涯は、才能と扱いにくさが表裏一体となった、一人の軍人の複雑な肖像を浮かび上がらせています。