ヨーロッパと南米で軍事的な貢献をしたジュゼッペ・ガリバルディは、「二つの世界の英雄」と呼ばれている。イタリア、ウルグアイ、ローマ、シチリアなど多くの戦いに参加したジュゼッペの部隊は赤シャツ部隊なんて言われいる。(赤シャツ着ていたから。または千人隊)結構、個性の強い英雄なんですが、今回はジュゼッペ・ガリバルディをご紹介するのではなく、その妻であるアニータ・ガリバルディを紹介していこうと思います。
アニータは農村の生まれであったが、ガリバルディに出会い、そして恋に落ちることで人生が劇的に変わって行くことになります。今回は英雄と恋に落ちて人生を大きく変えたアニータ・ガリバルディを紹介していこうと思う。
幼少期から
アニータは1821年にブラジル南部の農村の子供として生まれた。貧困一家の生まれであった彼女は正式な教育を受けることはなかったと言う。父は彼女が10歳の頃に亡くなってしまい港町に引っ越すことになるなどのアクシデントもあったが、騎手が得意な活発な女性に成長していった。そんな彼女にとって最大のアクシデントと言えば14歳の頃に強姦にあったことだろう。森の中で若い男に強姦されそうになったが、男が持っていた鞭を奪いめった打ちにして、男の馬も奪って警察署まで駆けつけたと言う。とんでもない女性である。現代人には想像もつかない活気な女性であった。このこともあったようで、母親に25歳の靴職人との結婚を強要されることになる。親友に不安を漏らしていたようだが、渋々結婚をして二人の子供を産んだ。
運命の出会い
1839年にアニータが19歳の時に運命を大きく変える出会いを経験をする。ジュゼッペ・ガリバルディはイタリア統一に失敗してブラジルの反乱運動に参加することになった。ジュゼッペは船から港沿いを望遠鏡で眺めていると、長身で長い黒髪、大きな目に豊かな胸元。ジュゼッペはこの美女に一目惚れした。衝動的に上陸して街を探し回る。見つけることはできずにコーヒーを誘われた家に訪れるとアニータがいたと言う。
ジュゼッペはアニータに魅了されて既婚者であることを理解しつつも、駆け落ちしてでも彼女といることを願った。アニータもその思いに答えて船に乗る決意をしたのでした。
アニータの勇姿はここから発揮されることになります。アニータが船に乗り込むことになると、直ぐに敵船に攻められてしまう。ジュゼッペはアニータに陸へ戻ることを進めますが、アニータはこれを拒否。砲撃が直撃して即死する兵士がいるなかでも、アニータは臆することなく銃を持って勇敢に戦った。ジュゼッペが懇願するので一時的に戻るが、怯える兵士を鼓舞して再び戦場に戻った。アニータは各地の戦場で兵士達を鼓舞して勇敢に戦ったとされます。その姿はまさに女傑である。
アニータの活躍
1840年にアニータは妊娠するが、死を恐れない勇敢な戦士が妊娠くらいで戦場を逃げ出すことなんてしなかった。妊娠しながらも補充隊の指揮を取って戦いに参加したのだ。それで馬を撃たれて落馬して捕虜になる。まさに絶体絶命のピンチ。かと思えば、その夜には軍服と馬を奪って逃走したと言う。また妊娠中に騎兵を指揮もしていたとか。もはや異常である。
翌年に結婚して子供を産んでしばらくはゆっくり暮らした。夫のガリバルディは代名詞とも言える「赤シャツ隊」を率いて南米での戦争に身を投じた。アニータは子育て中だったので戦争には参加しなかったが、夫が浮気したと聞くと銃を持って乗り込んだらしい。
やがて、イタリア統一運動に参加することになる。当初アニータは妊娠していたので戦争に参加はしていなかったが、戦況が不利になっていることを知ると遠い地であるローマに向かった。ジュゼッペはアニータとの再開に歓喜して「兵士が一人増えた」と声を張り上げたそうです。アニーは髪を短く切りそろえて、男装して戦った。以前と変わらない勇姿で仲間達を鼓舞した。しかし、ローマは降伏していまい、ジュゼッペは5千人の志願兵を率いてフランスと戦うことになる。戦いは敗北が続き、最終的には200人ほどになってしまいアニータもこの頃には疲労の蓄積から身体は限界を越えていた。
ジュゼッペは彼女を医者の元に残そうとしたが、アニータは嫌がった。結局アニータは1849年に運び込まれた農家で亡くなってしまった。ジュゼッペはその後再婚しますが、最後まで彼女を想い続けたそうです。
最後に
アニータは戦場での活躍から「イタリアのアマゾネス」とまで言われてイタリアには記念碑がたくさんあるみたい。ジュゼッペ・ガリバルディはアニータの死後も戦場に立ち続けて、イタリア統一に貢献した。統一後もアメリカ大統領リンカーンに司令官として依頼されたりと英雄として忙しかったみたいです。以上「二つの世界の英雄」ジュゼッペ・ガリバルディを影?で支えた女傑アニータ・ガリバルディのご紹介でした。
最後までありがとうございました。