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【テンプル騎士団】十字軍の英雄。秘密結社テンプル騎士団について簡単解説

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騎士団と言われると、多くの人が「白い布に赤の十字」を思い描くのではないでしょうか?テンプル騎士団は、「聖ヨハネ騎士団」「ドイツ騎士団」と並んで「三大騎士修道会」とされています。ファンタジー系のゲームや小説、アニメが好きな方なら聞いたことくらいあると思います。

 

「テンプル騎士団」の知名度の高さには彼らの実力と名声もあるとは思いますが、一番はおそらく「富」です。多額の財を蓄えて悲劇的な結末になったからこそテンプル騎士団は数々の伝説を残すことになります

 

今回はテンプル騎士団の歴史と悲劇的な最後をなるべく簡単に説明したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

組織の誕生

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組織の誕生は、第1回十字軍遠征は成功した頃に遡る。聖地エルサレムはキリスト教とイスラム教にとっての両教にとって大事な聖地であり、ローマ教皇は自身の威厳、イスラム教の拡大の措置、不良戦士の処遇、と思惑がいくつかあって奪還を命じた。十字軍は無事にエルサレムを奪還すると満足して帰ってしまう。このことを懸念に感じたフランスの貴族パイヤンは、聖地を守護する組織の結成を考えます。パイヤンの志に同調した9人の騎士が集まり母体が出来上がりました。

 

当時のヨーロッパ間では聖地エルサレムを守護したいと、考える貴族が多く何らかの貢献をしたい意見が多かった。そのためにテンプル騎士団に多くの貴族が入会して寄付していった。中にはフランス王をはじめとした王も寄付をしていたと言う。彼らは王国に仕える騎士団ではなく、ローマ教会に認可された騎士修道会の修道士として特権を当たえられるようになると組織は大きくなっていく。

 

この組織はソロモンが建設を始めたエルサレム神殿があったとされる領地に寄宿舎を建設したことから、「神殿」を意味する「テンプル」からテンプル騎士団、または「聖堂騎士団」を名乗ることになる。巨大な組織に成長するとテンプル騎士団は組織のトップ「グランド・マスター」(総長)と呼ばれる軍事と資産管理の責任者を配置して、その下には各国にいる区長「マスター」がいた。組織は主に、4つのグループに分かれた。「騎士」と仕える「従士」。資産管理もする「修道士」それに「司祭」。

 

入会は男性のみに限定された。これには入会の儀式が関係してきます。「戦場で名誉ある死を遂げる心意気」騎士道を貫くことが入会の条件だったからです。このような絶対的な騎士道に、徹底した鍛錬、豊富な資金によって確立した十分な食事と装備から、テンプル騎士団は中世最強の騎士団となった。9人で始まった組織は、最盛期には2万人規模の勢力になっていたと言う。

 

騎士団の活躍

 

軍事面

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第二回十字軍遠征ではフランスのルイ14世を援護して、聖地エルサレムを守護した。遠征終了後にはルイ14世からパリ郊外の広大な土地を貰ったテンプル騎士団は、この土地を西欧の支部として、王室の財宝の管理などを任されるようになる。

 

しかし、イスラムの英雄サラディンの登場でテンプル騎士団は状況は変わってきます。サラディンはエジプト周辺を領土していたアイユーブ朝の創設者で戦闘上手でした。

 

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テンプル騎士団はサラディンとの戦いで敗北してしまい聖地エルサレムを奪われた。それだけではなく当時の騎士団の総長は捕虜となってしまう。これは騎士道精神を破ることを意味していた。戦場で華々しく散るのではなく自ら、投降したらしい。戦争に負け、騎士を馬鹿にした行動でテンプル騎士団の威信は堕ちることになる。

 

このあとにイングランドの獅子心王リチャード1世、フランスのフィリップ2世、と共闘してサラディンと戦うが、聖地エルサレムを奪還することはできなかった。

 

 

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財政面

 

テンプル騎士団は軍事面で大きくなった組織ではなく、「お金」の使い方が上手かったからこそ巨大組織にまで成長したと言える。まずテンプル騎士団はローマ教皇に税金を納める必要がなかった。本来、ローマに所属する騎士団や修道士は「十分の一税」と言う税金が払う義務があったのだが、テンプル騎士団は免除されていた。で、どういう訳か、金銭の貸し借りに利子の付け足しを許可された。さらには自分たちの管轄区域で税の徴収までもが可能にしていた。

 

エルサレムを巡礼に向かう人達には現金を持ち歩かないように手形を発行したりと銀行のようなこともしていたようだ。元々入会者は自身の財産を全て騎士団に献上するみたいなルールもあったみたいだったので、テンプル騎士団は膨大な資産を蓄えることになる。

 

やがて欧州から中東に広大な領土を獲得して、各地に教会、城砦、農園を作り最盛期にはキプロス島全域を所有することになった。戦闘に向かうような精鋭部隊は一部であって、ほとんどは財政面に携わっていたと言われている。

 

数々の特権を与えられたテンプル騎士団の財力は現代で言う大企業クラスになり、フランス国王や貴族に利子付きで金銭を貸し、農園や税金によって多額の資産を得る組織に成長していた。ここまでくるとテンプル騎士団は騎士道よりも財を増やして堕落した生活を送ることを良しとするような組織になり下がる。

 

そして、サラディンに敗北したことで、創設理由であった聖地の守護に失敗したテンプル騎士団に不安を持つ声が上がるようになったのです。

 

騎士団の壊滅

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13世紀の終わりのフランスの美男王フィリップ4世は自身の野望に夢中だった。それはテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を合併して自らがトップに立ち聖地エルサレムを奪還することだ。とは言えフランスはテンプル騎士団からお金を借りているような財政困難な状況であった。とりあえず国を立て直す為に、フィリップはユダヤ人を一斉に逮捕していまい、資産を没収した。むちゃくちゃな行動をスタートさせたフィリップは続いて、テンプル騎士団に目を付けました。最大の債務者であるテンプル騎士団の壊滅と資産の没収が狙いだ。

 

フィリップは動き出します。手始めに聖ヨハネ騎士団とテンプル騎士団の合併を騎士団長に提案するが、当然却下されます。

 

鬼となったフィリップは、罪をでっち上げてテンプル騎士団の会員15000人を一斉に逮捕させた。罪状は、同性愛、児童虐待、悪魔崇拝、キリストの冒涜、殺人、とか意味不明で無理矢理なものばかりです。罪を自白するまで拷問していたとされ、団員は毎日のように火刑に処されていった。騎士団は活動を停止することになり、財産は全て聖ヨハネ騎士団を受け継ぐことになる。

 

各国にテンプル騎士団の禁止が伝わりますが、効果はなかったようです、ポルトガルの支部に至っては「キリスト騎士団」と名前を変えて活動していくことになり、ドイツとキプロス島では無罪になった。

 

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資産の没収を終えたフィリップは、1314年に最高指導者であるジャック・ド・モレーらを火刑に処した。モレーは処される前に「自白は誤りで、フィリップに強要された」と叫んだようです。

 

騎士団の伝説

 

テンプル騎士団には数々の伝説が残っています。聖地エルサレムで聖杯(財宝)を掘り当て、騎士団最後の総長の命令で極秘にフランス運ばれたとか、スコットランドに逃れた子孫によって、大西洋のどこかの島に隠したとか。

 

また秘密結社「フリーメイソン」を創設したのが、テンプル騎士団の生き残りと言う説もあるそうです。

 

ミクロネーション的な独立した国家のような騎士団であったからこそ、内部情報が漏れにくく秘密も多かった。だからこそその神秘的な要素から、人々は勝手に妄想を肥大化させていった結果のように個人的に思えました。

 

最後に

 

テンプル騎士団は19世紀に入ると歴史家によって名誉が回復したとされる。ただ、会社みたいに金儲けに走ったのは事実であって、本来の目的を失ったことは覆すことのできない。当初は全てを騎士団に捧げて、かなり困窮した生活を送ることが絶対だったそうなので、創設者である最初の9人が可愛そうです。

 

以上「テンプル騎士団」についてでした。最後までありがとうございます。