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『サンタ・アナ』西半球のナポレオンと謳われたメキシコの大英雄

 

本名アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ・ペレス・デ・レブロンは、メキシコの軍人であり政治家であった。「サンタ・アナ」「ロペス・デ・サンタ・アナ」と呼ばれる。軍人として大変に優秀であったサンタ・アナは、ナポレオンコレクターとしての一面があったことから、「西半球のナポレオン」と呼ばれたようです。政治家としても11回も大統領になったことからも、サンタ・アナが英雄であり慕われていたことがわかると思います。

 

 

 

生涯

 

幼少期

 

サンタ・アナは1794年にメキシコのベラクルス州で産まれた。彼の一族はスペイン生まれの植民者の出身で、高い階級であったそうだ。両親は裕福だったのでサンタ・アナを学校に通わせていた。1810年に家業である商売を継ぐ意思を否定して、サンタ・アナは軍人になることを選んだ。

 

軍人となる

 

16歳で軍人となったサンタ・アナはメキシコ独立運動で頭角を現した。ただし十代のサンタ・アナは野心のある若者らしく振る舞っていた。戦いの先行きを案じて、スペイン側からメキシコ側に寝返ったのだ。左腕を負傷するが、勇敢に戦う姿勢を評価されて、中尉に昇進にした。1821年に解放者(メキシコ皇帝)に忠誠を誓う。サンタ・アナはスペイン軍を重要な都市から追い出したことで、将軍になり、巨大な領土を得た。サンタ・アナは自身の地位を利用して、大儲けをしていたのだ。彼は生涯を通して賭け事を好んだ。

 

メキシコに革命を起こす

 

戦争に勝利してメキシコに平和が訪れたかと言えばそうでない。メキシコ皇帝となったイトゥルビデに従って戦ってきたサンタ・アナであったが、皇帝に敵対する組織に所属していた。

 

皇帝イトゥルビデは軍隊的に国を治めようとして、歯向かう者に容赦がなかったのだ。

 

各地域の著名人が賛同したことで、イトゥルビデは無血で退位することを決めて、メキシコは共和国となり、国のリーダーとして大統領を求めるようになる。

 

その後もメキシコは波乱の時代となり、新しい大統領が産まれても、反乱が起こるなど、絶対的なリーダーが誕生することはなかった。

 

大統領になる

そんな混乱を極めた変換の時代に絶対的な英雄が現れる事になる。彼こそがサンタ・アナだ。

 

1829年にメキシコの再征服を目論んで、スペインが軍を動かした。サンタ・アナは兵を募って、スペイン軍を撃破したことで、一躍英雄となる。スペイン軍が黄熱病で疲弊していたことが幸運となった一面もある。新生メキシコ共和国において、サンタ・アナの活躍が絶対的なものとなり、サンタ・アナ自身も「祖国の英雄」と豪語した。また自身を「西半球のナポレオン」と呼んだようだ。

 

1833年には内戦状態に突入していたメキシコを統一して、多くの政敵を打ち破り、ついにサンタ・アナが大統領に就任した。

 

テキサス革命

 

メキシコは君主派と民主派で政府が対立してた。当初のサンタ・アナは民主派としての考えを持って大統領となった。しかし、自身が大統領を引退して、隠居生活をするが、後継者が強引に民主を進めたので、またもやメキシコはバラバラとなる。政界に復帰したサンタ・アナはメキシコは民主主義になる準備ができないと訴えて、君主制となり自身が独裁者となることを宣言した。

 

メキシコの中央政府への不安が募ってテキサス革命が勃発する。サンタ・アナは国力にものを言わせた圧倒的な軍事力を見せつけて、革命軍を無慈悲に残虐した。

ゴリアドの虐殺で捕虜を342人を処刑。アラモの戦いでは189人のテキサス防衛隊を無慈悲に一掃した。

 

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しかし、この戦いでサンタ・アナは敗北をする。軍事力を誇示するれば敵は敗北すると、楽観的に考えすぎていた。言葉のわからない先住民や受刑者を多く集めた軍隊で、しかも食料や衛生面も不足していた。なので士気は下がる一面だったようだ。

 

アラモの戦いで敵軍は時間を稼ぐことができたようで、サンタ・アナは敗北することになる。沼地に隠れていたサンタ・アナは捕獲された。アメリカに亡命したサンタ・アナはアンドリュー・ジャクソンに会見した後にメキシコに帰国した。

 

再び敗北する

 

1838年にメキシコがフランスに対する金銭的な補償を拒んだことで、フランスが軍を動かしたのだ。菓子戦争と呼ばれる。サンタ・アナはテキサスの喪失を挽回するチャンスが巡ってくる。メキシコ政府から国民を守ることを指示されたサンタ・アナは行動を開始する。しかし、サンタ・アナは砲撃を受けてしまい左足は切断する必要になった。メキシコはフランスの要求に屈する事になるが、負傷したサンタ・アナは戦争の英雄として政界に復帰する事になった。

以後サンタ・アナが義足を使用していたことは有名となる。

 

晩年

 

サンタ・アナの人生の後半は亡命ばかりしている。フランスとの戦いで疲弊していたメキシコ政府は反乱軍を鎮圧することができずに、キューバに亡命した。

 

1846年にはアメリカに宣戦布告されている。米墨戦争。なんでもサンタ・アナは自分がメキシコに帰国した係争地をアメリカに適正な価格で売ると約束したり。帰国しても大統領になるつもりはない野心はない。国を守るために戦ってきたとアメリカ大統領に言っていたらしい。しかし、サンタ・アナはメキシコに帰国すると最高司令官としてアメリカとの約束を破棄した。もちろんアメリカなんて言う大国に敵うわけがない。なんならメキシコ軍は一世代も前であるナポレオン時代の武器を使っていたらしく、戦力が歴然としていた。敗北したサンタ・アナは再び亡命する事になる。

 

1853年に反乱軍に呼び戻されて政権を握ったサンタ・アナだったが、アメリカに領土を売却したりと失敗が続いた。最後には政府によって全財産を没収されることになり、反逆罪に問われた。

 

その後にニューヨークで暮らしたサンタ・アナはチューインガムの産業に携わるが失敗している。

 

1874年に恩赦を利用して、メキシコに帰国した。白内障で視力を完全に失っていたようで、1874年にメキシコシティで死去した。

 

最後に

 

生涯を通してギャンブルが好きだったので、お金に困っていたのかも知れません。ニューヨーク時代には闘鶏の熱心なファンで世界中からブリーダーを集めて世界大会をやっていた。また、ナポレオン関連品のコレクターだったので、お金はバンバン使っていたのでしょう。人生の前半は英雄らしい活躍が目立ちましたが、後半の衰退は惜しいものです。